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知性

ご無沙汰しております。
見返して見たら大晦日から更新してなかった。
展示がないとこんなもんですか・・・すいません。
今しばらくオフシーズンです。こもっております。
この時期の蓄積が逆にハイシーズンで生きてくる気もしています。
ま、逆にいえばそれほどシーズンインすると展示が重なって
告知ばかりになってしまうということで
ありがたいことだなあと、日々感じております。
皆様に感謝。

先日調べ物をしていたらこのページを見つけてしまいました。
インターネット持仏堂
2003年スタートだから随分前なんですね。
ネットを介しての内田樹と釈撤宗の往復書簡。
内田樹が抱えている興味について仏教ではどう捉えるかを釈撤宗に尋ねる形なのですが、
この二人の深い知性を感じてしまいました。

ん?知性ってなんだろ?
頭いいこととちょっと違う感覚があるなぁ。
「物事を知り、考えたり判断したりする能力」ググるとこんなのが出てきます。

息子が小さい時に「父ちゃん、賢いってどういうこと?」
って聞かれてこんなふうに答えたことを覚えています。
あ、前に書いたかもしんない。ダブってたらごめん。
「賢いっていろんな見方があって例えば
『知能が高い』とか『知識が豊富』とか『知恵がある』とかあるね。
『知能』っていうと脳みその中にどのくらい引き出しがあるか。
『知識』っていうとその引き出しにどのくらいものが詰まってるか。
『知恵』っていうとどの引き出しを開いて解決するか。
って感じがするけど。
父ちゃんは『知能』や『知識』が多くなくても『知恵』があるというのが
一番賢い感じがするなぁ」

『知性』ってそれとも違う気がします。
ググった結果の文章を見ると僕の感覚で言う『知恵』と
変わり無い気がするのですが、『知恵』と『知性』は違う言葉です。

『知性』には憂いがある。そんな感じがするんです。
生に対しての憂鬱、苦しみを乗り越えるために世の中をどうとらえ、考えていいか。
そのためにどんな知識を身につけなければならないか。
その知識をどう活用すべきか。
その活動の総体が『知性』と呼ぶにふさわしいんじゃないでしょうか。

この二人の往復書簡には、それがびっしり詰まっています。
内田樹のフランス文学者としての見方、ヨーロッパの哲学をベースにし、
生きることへの問いをロジックで詰めていく感覚。
釈撤宗の、仏教を立脚点としながらもヨーロッパ哲学を取り入れ、
洋の東西の相違点を見つめつつブッダの代弁者として
生を捉える感覚。

ネットの時代になって、いろんなものが便利になりました。
知識を蓄えるよりネットの活用法を知ればいいなんて話もよく聞きます。
引き出し(知能)はインターネットの中に。
中身(知識)はググればオッケー。
しかしその扱い方(知恵)については人間性、心性がかかわってきます。
知性がないものの知恵は逆に手に負えない。
悪知恵なんて言いますね。
なんかここんところはびこっている感じがしてるのは僕だけじゃないでしょう?

知性を手に入れたいものです。
そのためには憂いを手に入れることに戸惑わないようにしなくちゃ。
苦しみと真っ向に対峙することに怖気付かないようにしなくちゃ。
そんなことをこの往復書簡を読んで感じたのです。

読みだすと結構長い時間かかってしまうかも知れません。
しかし、井上ひさしの言葉
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」
を地でいくような文章、語り口。
興味あるかた是非。

もういっぺんリンクしときますね。この下をくりっこ!
   ↓
インターネット持仏堂


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角居康宏

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僕が、たくさんの作品に
心動かされたように、
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誰かの力になれたら。

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