煎茶するほど仲が睦い at伊勢丹新宿店
信州高遠美術館『はじまりのかたち Shape of the beginning』始まりました。
頭の中のイメージが空間に定着し、きちんとスケールを持って存在する。
20代の僕が作ったものが未だに僕を刺激してくれる気がします。
期間は12月10日までと長いので是非足を運んでいただけたらと思います。
よろしくお願いします。
それはそれとして・・・
明日、25日からは東京新宿、伊勢丹新宿店にて
煎茶道具の展示、『煎茶するほど仲が睦い』始まります。
9月に青山 白白庵 にて開催された『煎茶上等』スピンオフ。
前回、煎茶上等では「やんのかゴルァ!こちとら煎茶上等!」
と意気込んでたのですが、実は仲よかったのかと。
仲いいから煎茶するのかと。やっぱ喧嘩とは違うのかと。
当たり前かと。。。。
前回、煎茶上等では煎茶ワークショップがあり、
静岡から「TEA SONGS」代表石橋章子氏による
煎茶レクチャーを受けましたが目から鱗の新鮮な驚きがたくさんありました。
今回も石橋さんの程茶があります。
お茶の楽しみ、美味しさが倍増すること間違いなし。
29日、12:00〜18:00。ぜひ、こちらにご参加いただけたらと思います。
ペットボトルのお茶だって僕は全然悪いと思いませんが、
時折こうやって心を落ち着けてお茶を淹れる。
それこそが文化だなあと思うんです。
道具も一つづつ、自分の気に入ったものを手に入れ、
アゲアゲ気分で美味しいお茶を是非。
煎茶するほど仲が睦い
伊勢丹新宿店 本館5階 キッチンダイニング/茶道具
10月25日〜31日
頭の中のイメージが空間に定着し、きちんとスケールを持って存在する。
20代の僕が作ったものが未だに僕を刺激してくれる気がします。
期間は12月10日までと長いので是非足を運んでいただけたらと思います。
よろしくお願いします。
それはそれとして・・・
明日、25日からは東京新宿、伊勢丹新宿店にて
煎茶道具の展示、『煎茶するほど仲が睦い』始まります。
9月に青山 白白庵 にて開催された『煎茶上等』スピンオフ。
前回、煎茶上等では「やんのかゴルァ!こちとら煎茶上等!」
と意気込んでたのですが、実は仲よかったのかと。
仲いいから煎茶するのかと。やっぱ喧嘩とは違うのかと。
当たり前かと。。。。
前回、煎茶上等では煎茶ワークショップがあり、
静岡から「TEA SONGS」代表石橋章子氏による
煎茶レクチャーを受けましたが目から鱗の新鮮な驚きがたくさんありました。
今回も石橋さんの程茶があります。
お茶の楽しみ、美味しさが倍増すること間違いなし。
29日、12:00〜18:00。ぜひ、こちらにご参加いただけたらと思います。
ペットボトルのお茶だって僕は全然悪いと思いませんが、
時折こうやって心を落ち着けてお茶を淹れる。
それこそが文化だなあと思うんです。
道具も一つづつ、自分の気に入ったものを手に入れ、
アゲアゲ気分で美味しいお茶を是非。
煎茶するほど仲が睦い
伊勢丹新宿店 本館5階 キッチンダイニング/茶道具
10月25日〜31日


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THE SHAPE OF BIGINNING YASUHIRO SUMII展 ーat信州高遠美術館ー
いや、ちょっと!!ごっつい寒いじゃないですか。
ガスストーブつけちゃいましたよ。
こういう季節の変わり目、気温のぐっと変わる頃は油断してると体調崩します。
みなさんご用心ご用心。
どうしたの?なんか横文字の展覧会名で、、とか思いました?
すんませんすんません。いつも通り「はじまりのかたち」なんですけど
このブログのタイトルだけでももう何度も
ガスストーブつけちゃいましたよ。
こういう季節の変わり目、気温のぐっと変わる頃は油断してると体調崩します。
みなさんご用心ご用心。
どうしたの?なんか横文字の展覧会名で、、とか思いました?
すんませんすんません。いつも通り「はじまりのかたち」なんですけど
このブログのタイトルだけでももう何度も
「はじまりのかたち 角居康宏展」って使ってますのでね。
今回、僕の作品集のデザインをしてくれた株式会社KICHIの太田伸幸氏に
フライヤー、ポスターのお願いをすることになり、それがまたかっこよくてね。
僕の作品『円相 I 』の写真(撮影は作品集の撮影をしてくれた金井真一氏)で
THE SHAPE OF BIGINNINGのロゴが入ってて、
フライヤー、ポスターのお願いをすることになり、それがまたかっこよくてね。
僕の作品『円相 I 』の写真(撮影は作品集の撮影をしてくれた金井真一氏)で
THE SHAPE OF BIGINNINGのロゴが入ってて、
それでついシャレたタイトルにしちゃいました。
今回、いつもと違うところがあります。
いや、いつもとやってることは一緒かな?
今までの作品群に新作を入れて総括的に展示するという意味では一緒ですが
今年8月に金沢でやった個展『野辺』での作品が入ってます。
問題は内容。
リンク貼ってありますので読み返してもらったらわかるんですが
今回、いつもと違うところがあります。
いや、いつもとやってることは一緒かな?
今までの作品群に新作を入れて総括的に展示するという意味では一緒ですが
今年8月に金沢でやった個展『野辺』での作品が入ってます。
問題は内容。
リンク貼ってありますので読み返してもらったらわかるんですが
『野辺』は終わり、死について考えた末の作品群だったのです。
それじゃあ「はじまり」にならないじゃん!とお思いでしょうが
このフライヤーの写真、2005年に作った『円相』はそれを繋いでくれるものでした。
12年前にすでにはじまりと終わりはくっついているものだと予感していたのです。
実を言うと僕の中で「死をはじまりとする」と言う解釈があります。
それは美しいと思う感情。
このフライヤーの写真、2005年に作った『円相』はそれを繋いでくれるものでした。
12年前にすでにはじまりと終わりはくっついているものだと予感していたのです。
実を言うと僕の中で「死をはじまりとする」と言う解釈があります。
それは美しいと思う感情。
AI(人工知能)のことを考えていて気がつきました。
AIは意識を持つのか?と言うのはここのところホットな話題になっているかと思います。
チェスも囲碁も将棋もAIに負けてしまっていますがそれを進めた向こう側に
意識というものが生まれるかどうか。
翻って僕が関わっている美に関してはどうでしょうか?
美しい調和や曲線を計算で、アルゴリズムを使って作ることはできるでしょう。
しかし自然な中にある不定形な美しさ、崩れゆくものに対しての美
時間が作り出す変容などに対して作り出すことはおろか、
それを美しいものと判断することすら
AIには難しいのではないかなとそんなふうに思いました。
AIは意識を持つのか?と言うのはここのところホットな話題になっているかと思います。
チェスも囲碁も将棋もAIに負けてしまっていますがそれを進めた向こう側に
意識というものが生まれるかどうか。
翻って僕が関わっている美に関してはどうでしょうか?
美しい調和や曲線を計算で、アルゴリズムを使って作ることはできるでしょう。
しかし自然な中にある不定形な美しさ、崩れゆくものに対しての美
時間が作り出す変容などに対して作り出すことはおろか、
それを美しいものと判断することすら
AIには難しいのではないかなとそんなふうに思いました。
決定的な違いは「人は死ぬ」「AIは死なない」ということ。
例えばものすごく美しい夕焼けを見たとします。
僕も記憶に残っている夕日がありますが
あんな夕焼けはもう見れないだろうなあって思ってます。
その「もう見れないかもしれない」という感覚が
「美しい」を誘発しているんじゃないかなって思うんです。
もう見れないかもしれない。それは死を前提にした考え方です。
自身が死にゆくこと、滅びてしまうこと、そのことが「今この時」を
大切なかけがえのないものとし、この一期一会を美しいものにしているのではないかと
そんなふうにこのところ思っています。
花が、ことに日本人としては桜が美しいと感じるのは
散りゆく美しさであり、今この時にしか見られないという感情によるものでしょう。
例えばものすごく美しい夕焼けを見たとします。
僕も記憶に残っている夕日がありますが
あんな夕焼けはもう見れないだろうなあって思ってます。
その「もう見れないかもしれない」という感覚が
「美しい」を誘発しているんじゃないかなって思うんです。
もう見れないかもしれない。それは死を前提にした考え方です。
自身が死にゆくこと、滅びてしまうこと、そのことが「今この時」を
大切なかけがえのないものとし、この一期一会を美しいものにしているのではないかと
そんなふうにこのところ思っています。
花が、ことに日本人としては桜が美しいと感じるのは
散りゆく美しさであり、今この時にしか見られないという感情によるものでしょう。
子供の頃、死というものがなんとなくわかってきた頃
親しい人たちがいなくなってしまうという怖さ
自分自身がいなくなるってどういうことか考えて闇に引きずりこまれるような
恐怖を感じた頃、その頃から少しずつかけがえのなさについて気付いてきます。
美しいと感じるのはその頃からなのではないでしょうか?
死を前提として美しいと感じているとすれば
美しいと感じることの始まりは「死」ということにならないでしょうか?
ずっと美術をやってきて「はじまり」という事柄について追いかけてきて
始まりが終わりがグルンとくっついたところで僕は「美」という概念を
僕なりに見つけた気がしています。まだまだこれからですが。
そんなことが総括的に見られる展覧会になるといいな。
期間は10月21日から12月10日と長いです。
会場となる高遠美術館は高遠城址公園内にあり、紅葉がとても美しいと聞きます。
親しい人たちがいなくなってしまうという怖さ
自分自身がいなくなるってどういうことか考えて闇に引きずりこまれるような
恐怖を感じた頃、その頃から少しずつかけがえのなさについて気付いてきます。
美しいと感じるのはその頃からなのではないでしょうか?
死を前提として美しいと感じているとすれば
美しいと感じることの始まりは「死」ということにならないでしょうか?
ずっと美術をやってきて「はじまり」という事柄について追いかけてきて
始まりが終わりがグルンとくっついたところで僕は「美」という概念を
僕なりに見つけた気がしています。まだまだこれからですが。
そんなことが総括的に見られる展覧会になるといいな。
期間は10月21日から12月10日と長いです。
会場となる高遠美術館は高遠城址公園内にあり、紅葉がとても美しいと聞きます。