THE SHAPE OF BIGINNING  YASUHIRO SUMII展 ーat信州高遠美術館ー

いや、ちょっと!!ごっつい寒いじゃないですか。
ガスストーブつけちゃいましたよ。
こういう季節の変わり目、気温のぐっと変わる頃は油断してると体調崩します。
みなさんご用心ご用心。

どうしたの?なんか横文字の展覧会名で、、とか思いました?
すんませんすんません。いつも通り「はじまりのかたち」なんですけど
このブログのタイトルだけでももう何度も
「はじまりのかたち 角居康宏展」って使ってますのでね。
今回、僕の作品集のデザインをしてくれた株式会社KICHIの太田伸幸氏に
フライヤー、ポスターのお願いをすることになり、それがまたかっこよくてね。
僕の作品『円相 I 』の写真(撮影は作品集の撮影をしてくれた金井真一氏)で
THE SHAPE OF BIGINNINGのロゴが入ってて、
それでついシャレたタイトルにしちゃいました。

今回、いつもと違うところがあります。
いや、いつもとやってることは一緒かな?
今までの作品群に新作を入れて総括的に展示するという意味では一緒ですが
今年8月に金沢でやった個展『野辺』での作品が入ってます。
問題は内容。
リンク貼ってありますので読み返してもらったらわかるんですが
『野辺』は終わり、死について考えた末の作品群だったのです。

それじゃあ「はじまり」にならないじゃん!とお思いでしょうが
このフライヤーの写真、2005年に作った『円相』はそれを繋いでくれるものでした。
12年前にすでにはじまりと終わりはくっついているものだと予感していたのです。

実を言うと僕の中で「死をはじまりとする」と言う解釈があります。
それは美しいと思う感情。

AI(人工知能)のことを考えていて気がつきました。
AIは意識を持つのか?と言うのはここのところホットな話題になっているかと思います。
チェスも囲碁も将棋もAIに負けてしまっていますがそれを進めた向こう側に
意識というものが生まれるかどうか。
翻って僕が関わっている美に関してはどうでしょうか?
美しい調和や曲線を計算で、アルゴリズムを使って作ることはできるでしょう。
しかし自然な中にある不定形な美しさ、崩れゆくものに対しての美
時間が作り出す変容などに対して作り出すことはおろか、
それを美しいものと判断することすら
AIには難しいのではないかなとそんなふうに思いました。

決定的な違いは「人は死ぬ」「AIは死なない」ということ。
例えばものすごく美しい夕焼けを見たとします。
僕も記憶に残っている夕日がありますが
あんな夕焼けはもう見れないだろうなあって思ってます。
その「もう見れないかもしれない」という感覚が
「美しい」を誘発しているんじゃないかなって思うんです。
もう見れないかもしれない。それは死を前提にした考え方です。
自身が死にゆくこと、滅びてしまうこと、そのことが「今この時」を
大切なかけがえのないものとし、この一期一会を美しいものにしているのではないかと
そんなふうにこのところ思っています。
花が、ことに日本人としては桜が美しいと感じるのは
散りゆく美しさであり、今この時にしか見られないという感情によるものでしょう。

子供の頃、死というものがなんとなくわかってきた頃
親しい人たちがいなくなってしまうという怖さ
自分自身がいなくなるってどういうことか考えて闇に引きずりこまれるような
恐怖を感じた頃、その頃から少しずつかけがえのなさについて気付いてきます。
美しいと感じるのはその頃からなのではないでしょうか?
死を前提として美しいと感じているとすれば
美しいと感じることの始まりは「死」ということにならないでしょうか?

ずっと美術をやってきて「はじまり」という事柄について追いかけてきて
始まりが終わりがグルンとくっついたところで僕は「美」という概念を
僕なりに見つけた気がしています。まだまだこれからですが。

そんなことが総括的に見られる展覧会になるといいな。
期間は10月21日から12月10日と長いです。
会場となる高遠美術館は高遠城址公園内にあり、紅葉がとても美しいと聞きます。
ちょうど中日あたり、11月18日にはギャラリートークのイベントもあります。
夜のナイトミュージアムでは僕の盟友、木工家の般若芳行氏の奥様
プロのビオラ奏者の般若佳子氏の演奏もあります。

どうぞ、秋の高遠を楽しみながら美術館にお運びくださいますよう。高遠美術館  オモテ001高遠美術館  ウラ002
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上質なくらしの道具展 at日本橋高島屋

秋ですねえ。
町を歩くとふとキンモクセイの香りがフワッて香ったりして
いいですね。
朝晩の涼しさが気持ちいい。
朝ふとんでまどろむのが心地いい。
いい季節です。
あ、もちろん夏は夏の心地よさ、冬は冬の心地よさですけどね。
春秋はぬるま湯にずっとつかってるような心地よさ。
溶けていきそうです。

さて、そうやっていつまでも溶けてもいられないので
お仕事しましょう。
今回はお初!日本橋高島屋!
なんてったって語呂がいい。歌舞伎のかけ声みたい。
「よっ!成田屋!!日本一!!!」みたいなかんじで
「よっ!高島屋!!日本橋!!!」っていいたくなりません?
響きとしては「日本橋」のところを「にっぽんばし」って呼びたくなるところですが
にっぽんばしって言っちゃうと大阪に行かねばならなくなるので
涙をのんでここは「にほんばし」と叫ばねばなりません。
なんとかならんか。叫ぶときだけはにっぽんばしを許すとか。
ま、僕の都合で変えるわけにもいかんか・・・

さて、その日本橋高島屋での展示。
題して「上質なくらしの道具展」
上質な暮らしを提案する品々を作る人たちは
さぞや上質な暮らしをしてるに違いないなんて思われそうですが
どうなんでしょうか?
僕のこの生活は上質な暮らしと呼んでいいものだろうか?
『美術』なんてこともやってるし、その響きだけなら
なんかハイソな感じもない訳ではないけれど
僕自身からはハイソ感は微塵も感じられない気がする。
むしろ敗訴感、んなこともないな。ま、いいや。
お気楽極楽で秋のぬるま湯に溶けていることにしよう。

今回も名うての仕事人揃い。
素材も陶芸、うるし、ガラス、錫と多様。
ぜひ足をお運びくださいませ。

上質なくらしの道具展
日本橋高島屋7階 ギャラリー暮らしの工芸
10月4日~10日
10:30am~19:30pm

日本橋高島屋DMオモテ001 日本橋高島屋DMウラ002

煎茶上等 at 白白庵

おかげさまをもちまして先日、金沢での個展「野辺」
終了いたしました。
お越しいただいた皆様、
遠いから来れなかったけど気になってたよという皆様
ありがとうございました。

いつもそうですが、
個展は作ってる最中や開催中はなかなか客観的に見ることができないのです。
これから自分のやったことに対しての整理がつくのではないかと思っています。
そうなった時は次のテーマが少しづつ見えてくるのでしょうね。
楽しみです。

さて!
次は器の展示。
おなじみ東京は青山のギャラリー、白白庵(パクパクアン)
年間何回くらいこちらのご厄介になってるでしょうか?
飽きずに使ってくださり感謝です。

今回のテーマは『煎茶』
白白庵統括する石橋圭吾氏は講談社モーニングの「へうげもの」との繋がりもあり、
茶道の新しい世界を切り開く一角をなしているのですが
この度煎茶の世界にもどどーんと切り込みます。
その勢いを展覧会名からも感じていただけると思います。

ズバリ『煎茶上等』!
「何やアンちゃん、やんのかゴルァ!こちとら煎茶上等!
その口かっぴらいてうまい煎茶飲ましてやるわ!ゴルァ!!」
ってなもんです。
売茶翁もびっくりの世界が繰り広げられること間違いなし!

だからってあれですよ、
特攻服着て来たり木刀やらチェーンとか持って来ちゃダメですよ。
僕ら文科系なんだから(笑)

静岡茶次世代創造集団TEA SONGS代表、石橋章子氏の
煎茶ワークショップも開催
身近にありながらも実は奥深い煎茶の世界が垣間見えること間違いなしの展覧会
是非お越しくださいな。

17日の「日本茶と煎茶の器比べ」のワークショップは
僕も参加する予定。
「お酒でるからでしょ?」だって??
当たり前ジャーン!

煎茶上等
2017年9月9日〜18日(14日定休日)
11:00~19:00
東京 青山 白白庵
煎茶上等omote  煎茶上等ura 



野辺(のべ)  角居康宏 個展  at as baku B (金沢 尾張町)

「角居には”生と死”をテーマに個展を開いてもらいたい」
大好きな、そして素晴らしい芸術家としても大変敬愛している先輩
新保 さんから連絡をいただいたのは昨年の暮れでした。

昨年の秋には東京、京橋で個展『層』を発表し
自分の中ではある区切りができていました。
このブログでは何度もお伝えしていますが
今までずっと一貫して『はじまり』をテーマとしており
僕なりのその「はじまりの物語」が一つの終わりを迎えている気がしていたのです。

なんだかんだで作り手のキャリアをかれこれ20年以上
その間、火や融けた金属を扱うことの意味を考え続け
宇宙、世界、事象、生命、意識のはじまりについて思考、制作し
昨年、『層』では社会というものが始まる形態を現し
そこから先の「はじまりの物語」を紡げない感覚がありました。

「はじまり」を考え続ける中で、
「死」について、つまりは「おわり」について
考えなくてはいけない局面が度々あったことは
ある意味必然なのかもしれません。
漠然と、次に取りかかるべきは「死」についてであるという予感がありました。

そんな中での先輩からの申し出、
なんとも偶然とは言い難い道を用意していただいた気がしています。

今回の展覧会名『野辺』は作品名ではありません。
新作としては『標』と『たま』という2シリーズの連作を展示することになります。
「野辺」には文字通り「野のあたり」「野原」という意味もありますが
「埋葬場」の意味もあり、今では田舎の方でしかあまり使われなくなりましたが
埋葬場、火葬場へ向かうことを「野辺送り」と言ったりします。
「野辺」とは死者が眠るところ、魂がたゆたうところ、
この世とあの世の緩やかな境界線というイメージが
多分ついこの間、僕たちのおじいちゃんの世代あたりは
持っていたのではないでしょうか。
その「野辺」を限られたギャラリー空間で表現できたらと考えています。

全然意識していませんでしたがちょうどこの8月というタイミングは
お盆であり、戦争の区切りの時期でもあります。
こんな時期だからこそ、きちんと「死」について考えるように
導かれたのかななんて感じている今、展覧会直前なのです。

野辺  角居康宏 個展
as baku B(金沢市尾張町2-10-6)
8月17日(木)〜30日(水)(会期中無休)
11:00〜18:00

17日から20日まで在廊致します。
野辺 角居康宏個展 表 

19日は『as baku討論会』と称してトークイベントを開催いたします。
2部形式で1部は日本大学教授 鞍掛純一氏と「彫刻と工芸」をテーマに対談
2部は鞍掛氏と法政大学教授 水野雅男氏と「町とアート」をテーマに鼎談
こちらもエキサイティングなことになりそうで楽しみです。
野辺 角居康宏 個展 裏 

2017年 ヒロシマ賞

ヒロシマ賞(平和を希求する現代美術のアーティストに3年に一度贈られる賞)
の受賞者が決まり、現在 広島市現代美術館にて受賞記念展が開催されている。
今回、第10回ヒロシマ賞の受賞者はモナ・ハトゥム氏(1952年生まれ、レバノン出身、ロンドン及びベルリン在住)。

今回も父と慕う鯉江良二氏がトロフィーの制作にあたり、
実制作として関わらせていただいた。
4回の契約となっており、今回がトロフィー制作の最終回となる。

第7回(2007年決定) 蔡國強/美術
第8回(2010年決定) オノ・ヨーコ/美術

と4人の受賞者の元に僕が手がけたトロフィーが渡ったことになる。
大変光栄であるとともに、不思議な感覚にもつながっている。

それはワールドワイドにつながる美術の世界の端くれに自分もいるのだという意識、
それから平和を希求するアートが世界を動かす可能性と、
またこれだけの、いや、ほとんどのアーティストたちが求め続けているのに
平和というものはこれほどまでに手が届かないものかという感慨である。

表現などというものは世界に守られてなしうるものであろうと思う。
豊かさと多様性とそれを認知・理解する受け手の存在によって担保されている。
世の中の歪みを糾弾できるのは「これは歪んでいる」と手をあげることができるからだ。

この仕事をいただくにあたり、いつもそんなことを考え、
自分自身が一作り手であるという責務を感じる。

ヒロシマ賞受賞記念 モナ・ハトゥム展 は広島市現代美術館にて開催中。
10月15日まで。
モナ・ハトゥム展 


プロフィール

角居康宏

Author:角居康宏
モノを作るのが好きです。
モノを作ることによって
人と関わるのが好きです。

誠実に作ったものは
人の心を動かすと思っています。
美術は人に
熱を与えうると思っています。

僕が、たくさんの作品に
心動かされたように、
僕の作ったもので
誰かの力になれたら。

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